核のゴミ問題

核のゴミ、最終処分場問題

もんじゅ

高レベル放射性廃棄物はどこに捨てる??どこに処分する?

 

原子力発電所を稼働すると必ず出てくる使用済み核燃料。東京電力の福島第一原発の事故では、メルトダウンが起きるなか、原子炉のすぐ近くのプールに保存されていた使用済み核燃料。最悪の場合、プールの内部でもメルトダウンが起きる可能性があったのです。大地震が発生したことで原子炉の上に使用済み核燃料を保存するのは危険なことが明らかになりました。事故が発生してから6年以上経過しているのに各地の原子力発電所には、使用済み核燃料が置かれたままになっているのです。なぜなら最終的なゴミ置き場が決まっていないからなのです。最終的に捨てる場所が決まっていないのに再稼働すればあっというまに満杯になってしまうことは確実なのにゴミの引受先も見つかっていません。過去の核のゴミと切り離せない問題なのに何も決まっていないのです。

 

日本の原子力発電所で使われた使用済み核燃料は、「ゴミ」ではなく「資源」と考えられています。いったんは青森県六ケ所村の再処理工場に送られます。六ケ所村の再処理工場では、再利用できる資源と核に分けられます。核のゴミを最終処分場の地層深い場所に埋め立てる基本方針は、以前から決まっていたことです。しかし実際には、最終処分場は決まっていないどころか候補地の目処も立っていません。それどころか人口1万人あまりの青森県の六ケ所村の再処理工場の処理能力は低く度重なる試運転での失敗で半世紀経った今も機能していないのが実情です。国も原子力発電所も原子力発電を動かすことには熱心なのに核のゴミを先送りにしてきたというわけなのです。

 

原子炉から取り出された使用済み核燃料は、原子炉建屋の中の貯蔵プールで冷やすことになっています。福島第一原発4号機に事故当時貯蔵されていた使用済み核燃料は、250トン。事故直後電源が失われ冷却装置に水を送れなくなりました。懸命の作業により最悪の結果は免れたもののメルトダウンの恐れがありました。当時政府が想定していた最悪のシナリオは、放射能物質の放出がはじまり水が干上がりメルトダウンを起こし大量の放射性物質が放出されるというもの。このとき原発から半径250キロの住民は移住しなければならないと考えられていました。

 

電力会社 発電所施設名 管理容量 使用済み核燃料の量
北海道電力 1020トン 400トン
東北電力 女川 790トン 420トン
東北電力 東通 440トン 100トン
東京電力 福島第一原発 2260トン 2130トン
東京電力 福島第二原発 1360トン 1120トン
東京電力 柏崎刈羽 2910トン 2370トン
中部電力 浜岡 1300トン 1130トン
北陸電力 志賀 690トン 150トン
関西電力 美浜 760トン 470トン
関西電力 高浜 1730トン 1220トン
関西電力 大飯 2200トン 1420トン
中国電力 島根 680トン 460トン
四国電力 伊万 1020トン 640トン
九州電力 玄海 1130トン 900トン
九州電力 川内 1290トン 930トン
日本原子力発電 敦賀 920トン 630トン
日本原子力発電 東海第二 440トン 370トン
日本原発 再処理工場 3000トン 2968トン
合計   2万3670トン 1万7828トン

除染作業員

原子力炉から取り出した使用済み核燃料には、プルトニウムなど強い放射能を持つ物質が含まれています。これを廃液とよび数シーベルトという高い数値で健康に重大な影響をもたらし被爆したら死に至ります。核のゴミは、問題ないレベルに達するまでに数万年かかります

 

高浜や玄海など原子力発電所が再稼働に向かう中「核のゴミ問題」は、迷走を続けています。核のゴミ捨て場が決まっていないのに原子力発電所を稼働させて溜まっていくばかりの核のゴミ。国と原子力発電所が設立したのが原子力発電環境整備機構NUMOです。ニューモは、公募制をとり最終処分場を決定する予定でした。最初の文献調査で20億円。地上からの調査で70億円が支払われることになっていました。8年ほど前、滋賀県余呉町で誘致の動きが高まったこともありました。当時の村長は、財政を立て直す上で処理場を作りたいと訴えたいと話しましたが半数以上の住民から反対の声が上がり応募を断念しています。長崎県の対馬では、雇用がうまれ島の活性化につながると住民による誘致活動をしていました。ニューモにかけあい600人余を六ケ所村の見学ツアーを行っています。田舎の六ケ所村で幼稚園や学校など立派なものが建てられており経済効果を実感したといいます。
高校を卒業した9割が本土に行ってしまう、しかし福島第一原発の事故を受け誘致の話は立ち消えになってしまいました。メリットとデメリット両方を考えるとやはり断念するしか無かったようです。

 

高レベル放射能廃棄物を何万年も何十万年も安全に確保することができるのか?

 

地層300メートルの地下(場所すら決まっていない)のに原子力発電を作った世代で問題を解決いろといわれても・・高レベル放射能廃棄物を何万年も何十万年も安全に確保することができるかどうかも疑問。どの自治体も最終処分場に名乗りをあげず核のゴミは出し続けるという矛盾。電気は、電気。核のゴミは核のゴミ。といった偏った考えを改め電気を使ったら核のゴミを増やして入るという現実に目を向けなければいけません。1日でも電気がない生活は耐えられないほど家の家事労働は、家電に頼り切っているのが現状。

 


数万年かけて「核のゴミ」を人間社会から遠ざけるために必要な核のゴミ箱

1950年代「民主・自主・公開」の「原子力三原則 」を元に日本原子力研究所が設立されました。1960年代にはいると高度経済成長期をむかえた日本国内でも電力需要が高まり茨城県に東海発電所が建てられました。1970年代に入るとオイルショックの影響を受け経済が大きく混乱。火力発電所依存からリスクを分散するために水力発電所・風力発電所よりコストがかからない原子力発電所が注目を集めることとなりました。原子力発電所を建設する上で地方のデメリット以上に電源立地地域対策交付金の恩恵や、発電所を建てることで雇用が増え地域が活性化することから次々と建設されていったのです。

 

原子力発電所で原発で使われた核燃料の一部は、再利用されます。しかし再利用できない使用済み核燃料はゴミとなります。しかし核燃料のゴミは、家庭で出る生ゴミのように堆肥になり豊かな土によみがえるわけではありません。可燃ごみのように燃やせば灰が残るゴミではありません。高レベル放射能廃棄物から強い放射能を出ています。高レベル放射能の数値が低くなるためにかかる年月は数万年といわれています。数万年かけて「核のゴミ」を人間社会から遠ざけなければいけないのです。

除染作業員

原子力発電で使用された燃料は、プルトニウムとウランを取り出すと放射能値の高い高レベル放射能廃棄物が残ります。ガラス固化体キャニスターと呼ばれる容器に保管し地下300メートルの深い地層に埋めて廃棄する「地層処分」が行われます。しかし東海発電所再処理施設では使用済み核燃料が800個がステンレス製の容器に入れられプールに仮保管されており容器のワイヤーが絡まりプールから取り出せない状態なのです。外部への放射能漏れの影響はないものの取り出すための方法も不明、取り出しにかかる費用も不明なのだそうです。関係者は、古い装置なので取り出しが考慮されていなかった(取り出すために遠隔の装置を作りだすのも課題)と説明しておりずさんな実態が明らかになりました。


核のごみを捨てる最終処分場「科学的特性マップ」

「有望地地図」から「科学的有望地マップ」そして「科学的特性マップ」に名前を変えています。しかし問題は、核のゴミ箱をどの地域にするか??ということなのです。自分たちの世代で使った電力のゴミを自分たちの世代で何とかしろと言われましても「そんな危険なものなんて知らされていなかったもんね」と言いたくなります。しかし子の世代、孫の世代に先送りしてはいけない問題だなと思いました。原子力発電所が再稼働をはじめると核のゴミを貯蔵するプールは、4〜5年で満杯になるといいます。埋め立てて数万年安全である保証はどこにもありません。

 

有望地地図は、以下の条件から1つでも引掛かれば除外されるそうです。誰も核のゴミ箱に名乗りをあげないのが現状です。

 

  1. 火山から15キロ以内
  2. 活断層付近
  3. 地温が高い場所
  4. 鉱物資源が豊富な地域

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